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まぁ民放は揃いも揃って「わすれない」だの「悲しみを超えて」だの「絆」だの、悲劇をコンテンツにして大盤振る舞いの投げ売り状態ですね。
今必要なのは、例えば同じような環境と状況の中で、避難に成功した小学校とそうでないところの準備や行動を比較検証して「次にこのような事態になった場合、我々は具体的にどうするべきか」とか、例えば被災者の「あの時に困ったこと、今困っていること」って生の声を集めて、ソレに対する準備方法やボランティア情報とか、そーゆーんじゃないの?と思うんですが。
より多くの人に届くテレビメディアが、より関心を集められるこのタイミングでやるべきことって、喪失感を隠れ蓑にした衝撃映像詰め合わせじゃないんじゃねーの?と思うんですが。
少なくとも東京以北ではまだ余震が続いている現状で、「わすれない」もクソもねーよ。忘れられるかよ。
政治は政治で原発ムラだの既得権益だので、結局電気料金は値上げになるし、そもそも企業体質が改善に向かってるとも思えない。
「そんな政治家を選んだのは国民なんだから」と言われても、透明な筐体の中の超々々複雑に入り組んだ配線を見せられて「ね?透明でしょ?」ってゆー今の仕組みでは、専門家でもなきゃ責任負えるほど理解できないって。
電車が動きませんってなって、暴れもせず整然と歩いて帰る人々。
オフィスを休憩所として開放した企業。
「寒いでしょ?」と、味噌汁を配る定食屋。
停電の中、ろうそくと計算機で営業を続けたコンビニ。
無意識に助け合う。「絆」なんて言葉で明文化しなくても、人が人を思いやって、繋がる。それが連鎖する。
美しい人たちが、これからも美しくいられますように。
願わくば、全ての人が笑顔でいられますように。
以上、お目汚し失礼しました。壮大な愚痴ですので、ハナっから取り消し線で誤魔化しますw
とにかく、今日は静かに祈ります。
合掌。
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